細胞の元気が、仕事の元気!
元気企業コンサルタント 千原康裕の世界観 ブログ
~笑顔で元気に働き、豊かさとつながりを楽しむ大人で世界をいっぱいに!~
おはようございます!
元気企業コンサルタントの
千原康裕です。
商社マンとしてスタートした私。
今日のテーマは、
人生を変えた1998年長野冬季五輪に参加!?
をお送りいたします。
中小企業の跡取り息子に生まれた私は、
まず、外の飯を食ってこい と
よくあるパターンで就職。
商社マンとして、
楽しく仕事を学ばせて頂いておりました。
ほんと、楽しかったですよ!
沢山の同期、
素敵な先輩社員、
優しく厳しく楽しい上司。
(今でもご縁のある方が沢山います)
取り扱う金額も大きく、
なんとなく、
すごいことをやっている気分
にも浸り。
残業後の飲み会からのー、
会社に戻って仮眠からのー、
再び業務開始!
なんか、
頑張っている感満載で
みんなで楽しんでいました。
あまりにも充実していたので、
だんだん親の会社を継ぐのが面倒に。
あるとき、
俺の言うことが聞けないなら
出てイケー!
勢い良く自立の道へ(勘当ですよー)
アパート暮らしも
楽しくて楽しくて!
自由だーー!
を満喫してました。
ある時、母から電話が。
お父さん寂しがっているよ。
跡を継がないの?
・・・・・
しばらく、
母とのそんなやり取りを経て、
よし!父の跡を継ごう!と決断!
その後、
とんでもない出来事に遭遇する
とは知りもせず。
実家に戻り、
父に頭を下げ、
弟子入りすることに。
動機は、
・親孝行
・経営者になってリッチになる
・社長ってなんかカッコよい
どうなんだっていう動機でしたねー。
そこで、閃きました。
1997年の秋に跡継ぎ宣言。
1998年2月には長野県で冬季五輪が開幕。
(引用元:count32totteoki.naganoblog.jp)
自己肯定感を取り戻してくれた
大好きなスキーの国際イベント
「オリンピック」が
すぐそばまでやって来る。
観客ではなく、
開催側の一員として関わりたい。
何かとてつもない
経験が得られるのではないか。
この機会を逃したら、
むこう50年やってくるかどうか分からない
(根拠はないですよ)
長野オリンピックに関わるために
ひと冬、時間をくれと懇願し、
許可を得ました。
知人を頼りに
白馬八方尾根スキースクールの
スタッフとして
スキーインストラクター生活を
始めることに。
(引用元:hinata spot )
八方尾根スキー場並びにスキースクールは、
日本でもトップクラスのレベル。
達人がゴロゴロひしめく環境で、
ちょー刺激的。
「好き・楽しい」ことは
エネルギーが無限に湧き出てきます。
この「好き・楽しい」は
後に大きなキーワードとして
自分のキャリアに影響を与えてくれます。
オリンピックにどう関わったかと言いますと、
アルペンスキーの競技会場は、屋外です。
全長3000メートルを超える
コースを整備します。
通常は、
オリンピックスタッフと
自衛隊の方々1500人くらいで
コース作りにあたります。
(引用元:https://blogs.yahoo.co.jp/pspknzjp/9526319.html)
天候の変化によって、
コースつくりがうまくいかないこともあります。
あるとき、大雪が降り、
ほぼ完ぺきに整備した
全長3000メートルのコースの上に
100cmの雪が積もってしまいました。
そんな時は、緊急事態として
スキースクールスタッフも応援要員として
参加します。
競技会場に入るには、
オリンピック委員会公認パス
がないと入れません。
「OFFICIAL」と書かれたパスを
手にしたとき
震えあがる思いでした。
オリンピックに貢献できる!
具体的に何をやったかと言いますと、
全長3000メートルのコースの上に積もった
100cmの雪をスコップで
コース外に掻き出すというもの。
ちょー肉体労働。
真冬に大粒の汗。
それでも、
強い強い使命感の元
高いテンションで
スコップを振り続けました。
最高の経験でしたー!
つづく
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